40代無職独身、自己紹介その1
こんにちは。
40代無職独身なのに、まだ何とか何年後かには不安とも付き合いながら悪くないと思える生活ができるんじゃないかと希望を持ちつつ充電中の者です。
このブログがきっかけになって何かに繋がればと思い始めました。
自己紹介
1、出身校
2、大学生活
3、就職活動
4、フリーター時代
5、起業
6、会社経営
7、会社運営困難時
8、会社休業
自己紹介です。
1、出身校:出身大学は↓のどれかです。
高校受験は理数が苦手だったので偏差値50くらいの馬鹿高校でしたが、大学受験は暗記だし3教科だったので、1日12時間(選択科目6、英語3、国語1)の割合で5ヶ月勉強してたら志望校に合格しました。
2、大学時代
何でもやるサークルに入りました。
季節ごとのイベント毎にはお酒のみまくり吐きまくり、可愛い女の子と友達になるために、と馬鹿やってた一方で時事ネタで真面目にディスカッションなどしたり、毎年数百人くらいとの出会いがあり人生で一番楽しかった時代でした。
自分はあがり症だったので、克服するために立候補して部長もやりました。そのため数百人規模のこのサークルで自分が指揮を取り、大人もいる舞台でのスピーチも何度もこなし、大学のゼミの教授からは「自分のゼミの他の学生とはレベルが違うねえ」と言われたこともありましたが、まあゼミのレベルがあまり高くなかったんでしょう^^
3、就職活動
あがり症に加え頭の回転が早くないので面接なんて受けれる段階ではなかったです。
特にやりたいことも興味のあることもなく、面接の受け方も知らずにただ行ったのですが、何も準備をしていないと質問されても上手く言えず、上手く言えないから焦って頭が真っ白になり一時面接さえ通りませんでした。
結果そのまま卒業して無職フリーターです。
あ、そういえば今は人生で二度目の無職だったorz
4、フリーター時代
自分は人当たりが良く礼儀正しいらしく目上の人に好かれやすいそうなので、飲食店でお客さんからも良く褒められながらアルバイトをして生活費を稼いでいました。
その傍ら、大企業に就職することを目標に既卒枠で就職活動を行なっていて、同じ企業に2回〜3回は選考を受けていくかの有名大企業の最終面接まで行くようになりました。
ある業界最大手企業には選考を2年に渡って3回受けたときは、
1回目はweb選考落ち。
2回目はwebは必死に勉強して通過し、グループディスカッションを受けるもめちゃくちゃ出しゃばる奴がいてペースつかめず落選。
3回目は出しゃばるやつのフォローをしてペースをつかみグループディスカッションを突破し、次の人事面接も難なく突破して最終の役員面接を受けるも圧迫面接にとっさに対応できずに落選。
圧迫面接時にもう少しだけ上手く返せれば、女性8割の会社だったし社内恋愛で結婚して給料も40代で年収1000万円いくそうなので人並みの幸せな生活を送っていたかもしれないなあと今でも時々思います。
5、起業
もともと親戚が自営業をして成功していたので自分もいつかは起業したいと思っていました。成功すれば社長は時間の融通がきくし、お金あるし、と。もちろん両親に親孝行したかったです。裕福でないのに大学まで行かせてくれましたから。
上記の第一志望の企業の選考に落選した時に、たまたま知人から「こんな仕事がある」と耳にしたため、ビジネスモデルも単純でニッチだったことから「これなら自分でも成功できる」と祖父から借りたお金を自己資金にして公庫からお金を借りて起業しました。
最初は金も人もいなかったため現場作業、営業、経理、総務と全部一人でこなさなければならなかったので、1日15〜20時間は働いていました。仕事終わったら寝るために酒を飲んで、アルコールのせいで眠りが浅くなるのを利用して2~3時間寝て後は全部仕事というのを2年くらいは続けていました。
そのせいで体を壊しましたが、それでも働き続けてようやく4年目くらいに人を雇えるようになり次第に現場から遠ざかっていきました。
6、会社経営
零細企業の社長って自分にはほんと大変でした。
何か問題があればすぐに致命的になってしまうので、従業員がいても何をするにも自分が考えて実践して従業員に教えて、管理して。
従業員は言われたことはまあまあ頑張ってはくれました。でもちょっと問題があったり新しいことがあると自分がやらないと絶対に数十パーセントは損失が出てしまうので、人を雇えば雇うほどやることが増えていきました。
自分の右腕がいればもう少し会社も自分も楽になると思ってけっこう給料高めで人材探していましたが、うちみたいな超零細の3K事業にまともな人材が入ってくるわけもなく、なのに取引先が増えて年商も前年比150%増になってきて余計に大変になってきてしまいました。
7、会社運営困難時代
元々自分は目の前の一つのことにマイペースで集中的に取り組むことである程度の結果を出すタイプだったので、零細企業の社長のように営業、経理、総務、経営と一人で同時にこなしながら取引先からのクレーム処理して、現場の従業員から上がってくる問題(24時間いつでも電話がかかってきてました)を解決するというマルチタスクに仕事をこなすのが本当にストレスでした。
そのため次第に仕事は最低限のことしかしなくなくなり、従業員との連絡の頻度も減っていきました。
8、会社休業
そうやって最低限のことだけをするようになって従業員が自分に不満をもったため、現場の従業員がある時一斉に辞めてしまいました。
それでも頑張ればまだ会社は存続できたと思いますが、そもそもこの事業を始めたのは
お金を稼ぎたい、
自分ができる人間だと証明する、
この二つのためだけにやってきただけなので、お金はほとんど残らなかったけど「もういいかな、疲れたな」と思って会社を休業することに決めました。
会社って社長が一番モチベーションを持ってないと話になりません。社長が新しいことをしたり改善したりしないとサラリーマンは基本同じことしかしません。同じことしかしていないと会社は下降していきます。
自分は10数年で疲れ切ってしまって(真夜中にも平気で仕事の電話が入ってきていたので、テレビの中で電話が鳴っている音を聞くのでさえストレスになるくらいでした)いたので、こんな3Kの事業にもうモチベーション高めて山ほどある問題を解決していくのは嫌だし、他にもう少し嫌だとは思わないような仕事くらいあるだろう、と考えました。
残った人間で何とか取引先を他社に引き継ぎして10数年の会社経営は終わりました。